国内問題/天国や地獄が気になって宗教やめられない人へ

Sun, 22 Oct 2023 17:10:54 JST (188d)
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原始仏典 マッジマニカーヤp430-431の個人的な要約によれば

 

世界は有限である、世界は無限である、霊魂と体は同一である、霊魂と体は同一ではない、
人格完成者である如来はその死後も存在する、人格完成者である如来はその死後は存在しないということは
私が説いたものであろうか。私は苦を滅する方法を説いたのである。
私が説いたものを私が説いたものとし、私が説かなかったものを私が説かなかったものと受けよ。

 

とあります。
ニカーヤは如是我聞 釈迦如来はこう言ったと聞いている。というものを集めたもので原始的な仏典です。
多くは釈迦如来の付き人アナンの聞いたものと言われています。

+  要約ではない内容
+  ネットで調べた前提と資料の統合

マールンキャの子は世界は有限である、世界は無限である、霊魂と体は同一である、霊魂と体は同一ではない、
人格完成者である如来はその死後も存在する、人格完成者である如来はその死後は存在しない
などの事が気になりました。

 

釈迦如来に質問して答える事ができないなら清浄行(仏教の推奨する行い)を中止しやめようと思いました。

 

そこで釈迦如来は「わかりません。しかしあなたがそれを知ろうとするならば先に命が尽きるでしょう」という悟りのためのお話をしました。

ある人が毒矢に射られて苦しんでいるとしましょう。彼の親友、親族などは彼のために医者を迎えるでしょう。
しかし矢に当たったその当人が、
「わたしを射た者が王族であるか、バラモン(インドの宗教指導の職)であるか、庶民であるか、
奴隷であるかを知らない間はこの矢を抜き取ってはならない。
またその者の姓や名前を知るまではこの矢を抜き取ってはならない。
またその人の身長は高かったか普通だったか低かったか、肌の色は何色であったか、弓がどのような弓か、
弦はどのようなものかなどを知らない間はこの矢を抜き取ってはならない。」といったらどうなるでしょう。
(要約:原始仏典 中村元 P59-60、MN.I,pp.429-430.)

「世界は常往なものであるという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「世界は常往ならざるものであるという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。
世界は常往なものであるという見解があっても、また世界は常往ならざるものであるという見解があっても、
しかも生あり、老いることあり、死あり、憂い、悲しみ、苦痛、悩み、悶えがある。
われはいま目のあたり、これらの消滅を説くのである。
(同様に「世界は有限であるという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「世界は無限であるという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「霊魂と身体とは同一であるという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「霊魂と身体とは異なったものであるという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「人格完成者はその死後も存在するという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「人格完成者はその死後も存在しないという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「。。。(。。。は何か書かれていないが天国や地獄でもいいと思われます)が存在するという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「。。。が存在しないという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「。。。が存在しかつ存在しないという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「。。。は存在するのでもなく、存在しないのでもないという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。
このような見解があってもしかも生あり、老いることあり、死あり、憂い、悲しみ、苦痛、悩み、悶えがある。
われはいま目のあたり、これらの消滅を説くのである。)
 それ故にここにわたくしが記説しなかったことを記説されなかったこととし受持せよ。
またわたくしの記説したことを記説されたこととして受持せよ。。。
「世間は常往なものである」などということはわたくしの記説しなかったことである。
なぜにこのことをわたくしは記説しなかったのか?
何となればこのことは目的と相応せず、清浄行の基礎とならず、厭離・離欲・止滅・平安・知通・正覚・ニルヴァーナのためにならない故である。
 しからばわたくしは何を記説したのであるか?
「これは苦しみである」「これは苦しみの起こる原因である」「これは苦しみの止滅に導く道である」
ということをわたくしは記説したのである。
何故にわたくしはこのことを記説したのであるかマールンキャの子よ、
これは目的と相応し、清浄行の基礎となり、厭離・離欲・止滅・平安・知通・正覚・安らぎのためになるものである。
それ故にわたくしはこのことを記説したのである。
(MN.I,pp.430-431.cf.DN.9,vol.I,p.187.)
(出典:原始仏典 中村元 P59-60)

 

これを見た方は今度は清浄行が知りたくてしょうがなくなる可能性があります。
清浄行が何であるかを書いておきます。
清浄行はbrahmacariyaṁ英語でBrahma-faring日本語で梵行と言います。
当時のインドは人生を梵行期、家住期、林住期、遊行期に分類していたようです。
梵行期は学生として遊行してたりする師匠に習って学問を行う時期です。中村元様の翻訳の清浄行に往するというのは
(釈迦如来の元で)勉強するという意味になるでしょう。学校で勉強するのは良いですが学校だけでは世界の見方が偏ります。
インターネットや図書館には多くの書物があります。物事が事実であるか検証しその上に知識を積み上げなくてはいけないと思います。

 

当時のインドには人がなくなったらその人の行いによって良い家や悪い家に生まれ変わるという思想があります。
釈迦如来はそれを説きませんでした。わからないことはそのままで勝手な解釈をつけないのはより事実に近いでしょう。
なんでも仏教が正しいとは思いませんが、このことはマールンキャの子のように困っている人に答えをくれるでしょう。

現在の仏教ではとかく天国や地獄などを出し、こうすれば天国に行きこうすれば地獄に行くなどと言っているかもしれませんが
仏教の始祖である釈迦如来がそのようなことは言っておらず、
それを考えること自体が苦の始まりであり教えではないと言っています。
亡くなった人の魂が生きているや生きていないなどは釈迦如来の説にはなくそれが釈迦如来の説ではないと釈迦如来がみずから言っているのを忘れないでください。

 

一つ言えるのは人格完成者である釈迦如来の説は今の世の中で苦悩にある人の苦を滅するために蘇るということです。

 
 

とはいえキリスト教には天国と地獄があるような記述があります。
天国はマタイの福音書に出てきます。マルコ、ルカ、ヨハネの福音書には天は出てきますが天国は出てこないようです。
マタイ 天国 מַלְכוּת (マルフータ(王国))הַשָּׁמַיִם(シャマイン(空))
地獄と訳されるものは結構あるようです。
地獄 גֵיהִנוֹם(ゲヘナ(地獄またはエルサレムの南の焼却場ヒンノムの谷))
(ヘブライ語の参考はttp://smallvoice.la.coocan.jp/wp/category/matthew/)
הינום(ヒンノム) (ガイ(谷))גַיאヘブライは右から左に読みます。なのでムノンヒイガ→ナヘゲ
キリストの弟子の福音書のゲヘナはヒンノムの谷と考えてよいと思われます。
ヒンノムの谷は宗教的儀式で人を生贄にしたりしていた聖なる場所でした。
しかし生贄自体が良くないということになり二度と使えなくするためゴミ捨て場にしました。
キリストのいた時代はヒンノムの谷はゴミ焼却場であり、罪人を捨てる場所であり、
身寄りのない人の終焉の場であり、常に悪臭がしていたようです。
マルコの福音書 9章48節 地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。
なぜ蛆(うじ)?と思うと思いますが、これがヒンノムの谷に変えれば理解できます。
ヒンノムの谷では蛆が尽きることも、火が消えることもない。
今ヒンノムの谷(ガイヒンノム)どうなっているか。
歴史を知りよく考えればわかることでした。もう火は消えていると考えられます。
キリストが亡くなってから約40年後ローマとの戦いでエルサレムが陥落して
今と同じシリアパレスチナになったようです。
これによりローマ(イタリア)ではその功績を記念するためにティトゥスの凱旋門が作られました。
ttps://youtu.be/BZlekuMmaVg
(現在のヒンノムの谷 動画ではそこで生贄が捧げられたことによって地獄と言っていますが
このページでは生贄を捧げる場所は聖地となりキリストがいた頃すでにゴミ焼却場になっていて火が消えず、罪人を捨てる場所であり、身寄りのない人の終焉の場であり、常に悪臭がしていたということ、またユダヤ教経典列王記下23章10節「王はまた、だれもそのむすこ娘を火に焼いて、モレクにささげ物とすることのないように、ベンヒンノムの谷にあるトペテを汚した。 」の説をとろうと思います。)

またキリストの出て来る600年前から現在に至るまでヒンノムの谷の斜面の埋葬用洞窟にはユダヤ教経典民数記 6章24節から26節の言葉が刻まれているようです。
「願わくは主があなたを祝福し、あなたを守られるように。願わくは主がみ顔をもってあなたを照し、あなたを恵まれるように。願わくは主がみ顔をあなたに向け、あなたに平安を賜わるように」
この主というのはユダヤ教の主なのでヤーヴェを示すと思われます。ユダヤ教がヒンノムの谷をゴミ捨て場のようにしてからもそこでの死者への言葉が書いてあるのがわかります。
ケテフ・ヒンノム刻文と言われます。

 

旧約聖書には基本的には天国や地獄は出てこない気はします。
ただし旧約聖書に出てくる他の宗教としてバアルが出てきます。
このバアルは雲の上に住んでいます。
意味は「上方の主」で当時のその土地の言語でバアルと読みます
バアルの神話は3500年以上前のもので旧約聖書よりも昔からあります。
ウガリットというところで粘土板で出土しウガリット神話として知られています。
ウガリット神話では地獄というより冥界の王モートが出てきます。
バアルとモートの戦いを紹介します。

+  バアルとモートの戦い

バアルはツァフォンの山奥に住んでいて雲の上に神殿があります。
光の娘ピドリアと雨の娘タラヤが奥さんです。妹に諸国民の姉アナトがいます。
神殿を作ったコシャルハシスにバアルは窓をつけなくて良いと言いましたが
コシャルハシスに出かける際に必要といわれ神殿には窓があります。
バアルの声はとても大きく轟(とどろ)きます。皆様も梅雨の時期にバアルの声が聞こえると思います。
そして窓からはピドリアとタラヤが落ちてきてしまいます。
冥界の王モートはタルギジジの岩山とタルマギの岩山を持ち上げた深穴にいます。
人肉を好み、通った後にには骨が残るでしょう。
シャパシュは太陽の光です。
一説によると昼間は地上に現れ地上を見、夜は地中に潜り冥界(死者の世界)を見ています。
昔、音もなく太陽が地面に潜っていくのが不思議ではありませんでしたか?

 

お話
バアルは神殿ができたことをモートに知らせようと思いグパンとウガルに伝言しました。
モートはグパンとウガルに言いました。
私の食欲はメスのライオンかイルカのようである。両手を使って食べるのだ。それだけちゃんとあるだろうな。
私と兄弟と親族を呼ぶならば共に食べ物を食べ、ぶどう酒を飲めば良い。
だが忘れたか?バアル。お前を刺し殺し粉々のクズにし両手でバリバリと食べ死なせることができることを。
神モートの喉の中へ降りてこい。エルの愛し子、勇士の深い穴の中へ。
バアルはそれを聞き怯えました。雲に乗られるお方は怯えグパンとウガルに伝えました。
めでたし、神モート、あなたの奴隷だ私は、それもとこしえの
バアルは(別資料によるとシャパシュの提案に)聞き従いました。雌牛と交わり男の子を産みました。
バアルはその着物を彼に着せました。
(このためバアルは半人半牛と考えられています。風神雷神図かミノタウロスか)
(欠損で読めません。)
バアルが大地に倒れているのが見つかりました。
最強の戦士大地の主、王子は死にました。
慈悲深い神ラティパンは玉座から降り、足台に座り、足台からから降り大地に座りました。
麦わらを頭にふりかけ皮膚を石でかきむしり、ひげそりの代わりに火打石でヒゲをそり
喪服を着、やせ衰えました。
そして声をあげ
バアルが死んだ。国民はどうなるのか。タゴンの息子が、群衆はどうなるのか。
バアルを追って冥界へ下ろうか。
さて、アナトは歩きまわり駆け巡っていました。
そしてバアルが大地に倒れているのに出くわしました。
喪服を着ました。皮膚を石でかきむしり、ひげそりの代わりに火打石でヒゲをそり
やせ衰えました。
バアルが死んだ。国民はどうなるのか。タゴンの御子が、群衆はどうなるのか。
バアルを追って冥界へ下ろうか。
彼女のそばにシャパシュが寄り添いました。
泣き飽きるまでぶどう酒のように涙を飲んでいました。
「おぉ。神々の光シャパシュ。どうか私に背負わせてください。最強の戦士を」
神々の光は聞き従いました。
最強の戦士バアルを持ち上げてアナトの肩に確かにおきました。
彼女はツァフォンの山奥にバアルを運び上げ
彼のために泣き、彼を葬り、冥界の神々の穴に納めました。
70頭の野牛、70頭の牝牛、70頭の羊、70頭の牝鹿、70頭のヤギ、70頭のロバを犠牲にほふりました。
彼女は顔を2本の川の源エルの方に向けました。
歳月の父、王の砦に着きました。
エルの足元にかがんでひれ伏し崇めました。

彼女はいいました。
喜べ今は、アシラとその子らよ。エラトとその親族よ
最強の戦士バアルが死んだから。
大地の主、王子が死んだから。
エルは言いました。
貴婦人海のアシラそなたの息子から一人渡せ。
そうすれば王にしてやろう。
アシラは答えました。
必ずや知恵ありと知るものを王にしましょう。
慈悲深いラティパンはいいました。
非力ではバアルのように走れない。タゴンの息子のように槍を放てない。
アシラはいいました。
必ずや恐怖のアシュタルを王にしましょう。
恐怖のアシュタルが王です。
恐怖のアシュタルはツァフォンの山に登り最強の戦士バアルの椅子に座りました。
彼の両足は足台に届かず、頭は椅子のてっぺんに届きませんでした。
恐怖のアシュタルはいいました。
ツァフォンの山奥では王になれません。
恐怖のアシュタルはおりました。
最強の戦士バアルの椅子から
(欠損で読めません。)
アナトの心はバアルを訪ね回りました。
メス牛がオス牛を思うように
メス羊がオス羊を思うように
そのようにアナトの心はバアルの後を追っていました。
モートの衣服の縁(へり)をつかみ上着の端で彼を締め上げました。
おのれモート私の兄を返せ
神モートは答えました。
何を求めるのか。おぉ乙女アナト
私は歩き回っていました。あらゆる岩山、あらゆる丘の奥深く
私の食欲は人間の子らに飢えていました。大地の群衆に
牧草地のバアルに近づき子羊のようにしました。
バアルは私の喉に砕かれました。

 

神々の光シャパシュは燃えています。
天はモートによって疲れ果てました。
(日照りが続き、モートが歩き回るのでモートに食べられた動物が増えます)

 

日々が経ち何ヶ月も経ちました。
少女アナトの心はバアルを訪ね回りました。
メス牛がオス牛を思うように
メス羊がオス羊を思うように
神モートを捕らえ、剣で彼を裂き
ふるいにかけてから火で焼き
石臼で挽き、広野に撒き散らしました。
鳥たちは彼をついばみ、スズメが彼の手足を食べ尽くしました。
(欠損で読めません。)
もしバアルが生きているならば慈悲深きラティパンの夢で天から脂が降り
谷間には蜜が流れるだろう。
最強の戦士バアルが生きているとわかるように
大地の主、王子がいるとわかるように
慈悲深きラティパンの夢で天から脂が降り
谷間に蜜が流れました。
慈悲深い神ラティパンは喜びました。
両足を足台に置き直し少し上を向いて笑いました。
そしていいました。
座って休もう。私の心が休めるように。
最強の戦士が生きているから
大地の主、王子が生きているから
エルは叫びました。少女アナトに
「聞け、おぉ乙女アナト、シャパシュに伝えよ」
「畑のうねがひび割れているバアルは耕地のうねを占居するはずだ。
どこにいるのか。最強の戦士バアルは。大地の主、王子は」
乙女アナトは出発しました。顔は神々の光シャパシュに向けて
アナトは叫びました。
「あなたの父、牡牛エルの伝言、あなたの父祖慈悲深いラティパンの言葉
畑のうねがひび割れているバアルは耕地のうねを占居するはずだ。
どこにいるのか。最強の戦士バアルは。大地の主、王子は」
(シャパシュは太陽の光なので日中のことはなんでも知っています)
シャパシュは答えました。
「きらめくぶどう酒を酒ぶねから注ぎだし花輪をかぶせなさい。
あなたの一族の嬰児に。そうすれば探しましょう。最強の戦士バアルを」
(欠損で読めません)
バアルはアシラの子らをとらえ
年上は木刀で打ち砕き
海を砕くものたちを棍棒で打ち砕き
年下は引き倒しました。
バアルは再び王権の座に座りました。
数日が過ぎ数ヶ月になり7年になりました。
モートが最強の戦士の方に来ました。
彼は叫びました。
「お前のせいで恥をかく目にあった。
お前のせいで剣で裂かれる目にあった。
お前のせいで火で焼かれる目にあった。
お前のせいで石臼でひかれる目にあった」
お前のせいでふるいにかけられる目にあった
お前のせいで広野に撒かれる目にあった
お前のせいで海に撒かれる目にあった
お前の兄弟から一人くれ食うために。そうすれば私の怒りは収まる。
もしお前の兄弟をくれないならば人間の子らを食い尽くし群衆を食いつぶしましょう。
(欠損でよめません)
モートは言いました
「お前はくれた私の兄弟を私が食うために。
私の母の子らを私が食い尽くすように」
復讐者のように睨み合う。
モートは強いバアルは強い
野牛のように突きあう
モートは強いバアルは強い
蛇のように噛み合う
モートは強いバアルは強い
猟犬のように引き合う
モートが倒れ、バアルがその上に倒れました。
シャパシュはいいました。
「聞いてください。おぉモート。
どうして戦うのか最強の戦士バアルと
どうしてあなたのことを聞かないだろうか
あなたの父、牡牛のエルが
あなたの椅子の支えを抜かないだろうか
あなたの王権の座を覆さないだろうか
あなたの支配の笏をおらないだろうか」
モートは恐れました。
エルの愛し子、勇士は怯えました。
モートはシャパシュの声で起き上がり
「バアルを王権に返せ彼の支配の椅子に」
(こうして数ヶ月にもわたる強烈な日照りは起こりバアルが戻ったことで元に戻りました。
雨が降るようになって7年またモートが復活しバアルは雷の槍をモートに落とし凄まじく戦い
シャパシュが仲裁し嵐は治まりました。ちゃんちゃん)
(参考:バアルの物語―ウガリトの神話 谷川政美)

 
+  おまけ1

キリスト教の主は天にいて雲にのると言われているので実際かなりバアルに近いと思われますが、マタイの福音書内でバアルの宗教か疑われる部分があります。
それに対する部分は否定しているようなしていないような微妙な回答です。
マタイの福音書12章22節から28節

そのとき、人々が悪霊につかれた盲人のおしを連れてきたので、イエスは彼をいやして、物を言い、また目が見えるようにされた。
すると群衆はみな驚いて言った、「この人が、あるいはダビデの子ではあるまいか」。 
しかし、パリサイ人たちは、これを聞いて言った、「この人が悪霊を追い出しているのは、まったく悪霊のかしらベルゼブル(ユダヤ教でのバアルの呼び方)によるのだ」。
イエスは彼らの思いを見抜いて言われた、「おおよそ、内部で分れ争う国は自滅し、内わで分れ争う町や家は立ち行かない。
もしサタンがサタンを追い出すならば、それは内わで分れ争うことになる。それでは、その国はどうして立ち行けよう。
もしわたしがベルゼブルによって悪霊を追い出すとすれば、あなたがたの仲間はだれによって追い出すのであろうか。だから、彼らがあなたがたをさばく者となるであろう。
しかし、わたしが神の霊によって悪霊を追い出しているのなら、神の国はすでにあなたがたのところにきたのである。

まあバアルはお察しですが雨を降らせる雷雲なので悪霊を追い出す業務をしているかどうかは?

 

心のよりどころがないと不安という人のために宗教に頼らず何を見れば良いかのオススメを書いておきます。

  1. 今の日本国憲法(政治家公務員がこれだけは守るという誓い)ttps://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=321CONSTITUTION
  2. 民法 ttps://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=129AC0000000089
  3. 刑法 ttps://elaws.e-gov.go.jp/document?lawid=140AC0000000045
    まずこれだけ見ておれば特に問題はないと思います。
 

また念のため書いておきます。
自分の住居などは自分の意思に関係なく他人が入ることはできません。
これに反する人は警察に言えば警察が除いてくれるでしょう。
ただし、自分が法律違反を行なった場合を除きます。

 

契約は自分の意思に関係なく行われることはありません。
これに反する人は警察に言えば警察が除いてくれるでしょう。
ただし、税金や徴兵などは国や政府の意向で勝手に決めてしまいます。
なので憲法などで政治家や公務員の行動に制限をかけるようになっています。
そして無理やり望まない範囲に達すれば政治家の命は危ういでしょう。

 

ただし、未成年である場合は警察の出動は基本的に親の意見を挟むことになります。
親に言ってOKがでたら呼びましょう。

 

基本的に自由であり、しかしそれには限度があり、その限度を超えるものは排除できます。
限度は人それぞれで自分で決めてよく個人差があります。
悪人を排除するのは普通であり、善人を排除するのは愚かであり、
善人を排除しないのは普通であり、悪人を排除しないのは愚かであると思います。

 

これらは力の強い弱いは関係ありません。
ただしこれにも問題点があります。
警察のトップは現在総理大臣になっています。なので売国国賊安倍晋三が逮捕されず、森友問題では改ざんをさせられた方が死に
売国国賊安倍晋三賞賛小学校を作ろうとした人のはしごを外し作ろうとした人が刑務所で服役することになりました。
このような不正がありますので注意してください。

 

過去の世界からどのようになってきているかを見たければ
過去の神話、旧約聖書、新約聖書、仏典、四書五経、外国の憲法などを見れば良いと思います。
良い教義はそれぞれにあると思いますし、完全であるかというとそうではない気もします。

 

献金すれば天国に行き、献金しないと地獄に行くは多分ないと思います。
生きている人の設定で死後に天国や地獄に行くとするのは、
ご褒美やお金をかけずに人に何かをさせるための手口のように見えます。
仏教では天国があるやないは釈迦如来の教えではなく
キリスト教の地獄ゲヘナであるヒンノムの谷の火は消えています。
キリスト教の天国が何を参考にしたかはっきりしませんが
ウガリット神話のバアルの天空神殿はバアルの住処でありバアルの奥さんピドリアとタラヤの住処です。
そしてそれはたぶん雷雲です。