国際紛争/ウクライナで起きていることを日本に例えると
ウクライナで起きていることを日本で例えてみます。
以下は例えのフィクションです
まず、アメリカ同盟派とロシア同盟派に日本が割れているとします。
東北はロシア同盟派が多く、関西はアメリカ同盟派が多いとします。
そして総理大臣はまずロシア同盟派でした。
しかし、関西のアメリカ同盟派は不正選挙だといい東京でデモを始めました。
アメリカ政府はそのデモにお金を大量に回し、東京に行く費用は自分持ちで
ホテル代と給料を毎日数千円出しました。観光しても構いません。
デモの場所で私たちはアメリカ同盟を支持します。と大声で言えばいいだけです。
そのホテルは帝国ホテルでデモの人々は数ヶ月で帝国ホテル付近にあふれました。
アメリカの国務次官補や駐日アメリカ大使はデモの補助をしデモとコンタクトを取り続けました。
デモは帝国ホテルから国会まで広がり国会付近では警察や自衛隊が防衛を始めました。
国会はアメリカ同盟派のデモで取り囲まれ、ある時発砲があり、警察やデモの人が死にました。
これはスイスの研究によると帝国ホテルから最初の発砲がありそれからも続いていたというものがあります。
警察や自衛隊は攻撃は絶対にするなと言われていました。
ただし、警察や自衛隊の人々がどんどん死んでいくので警察や自衛隊からの発砲音も聞こえ始めました。
この時アメリカは全世界に日本で警察や自衛隊がデモの人々を殺しているという報道をしました。
アメリカの副大統領は日本のロシア派の首相にお前を支持するものはもういないロシアに亡命しろと電話でいいました。
首相はアメリカともとりあえず、そこそこ仲良くしたかったのでとりあえずロシアに亡命しました。
アメリカは首相が政治を放棄していると発表し、臨時の政府の設立をさせ、その人事はアメリカが決め
西部日本で政府を作り、東部日本には選挙権を剥奪し、知事は西部から派遣するようにしました。
また、関西弁を公用とし標準語や東北の言葉を話すことを禁止し、学校では全て関西弁が使われ教育が始まりました。
東部日本人はこんなことなら別な日本政府をつくるといい県庁や、市庁を占拠し独自の政府運営をしようとしました。
西部日本人は戦闘機や戦車など自衛隊の持っていた兵器を使い市庁舎や県庁舎を攻撃し陥落させました。
西部日本では東部日本を殺せという教育も始まりました。
東部日本の標準語や方言をまだ使っていきたい人々は徐々に北海道の方に集まっていきました。
北海道の北のほうに集まった東部日本人は新日本という地域として独立を宣言しました。
新日本は西部日本からもロシアからも承認されず、スイスでロシアと西部日本と東部日本とEUの会議で
新日本は日本の自治区として運用することを約束しました。
西部日本は約束が決まったその日から新日本の人々を銃で撃ち紛争は終了しませんでした。
その日から徐々に紛争はエスカレートし新日本側も徐々に武装し始めました。
そして8年が経ち西部日本で戦争スキーという首相が選出された時、スイスでの約束はロシアに無理やり約束させられたものだといい
新日本に攻撃を多くし始めました。その数は1週間に3000爆発程度をEUが観測していました。
新日本はロシアに救援を求めていましたが日本の一部地域に干渉するのは国際法上の問題がありロシアは拒否していました。
しかし戦争スキー首相が攻撃を増大させた時、ようやくロシアは旭川と帯広をそれぞれ国として認め
参戦しました。国を守るために同盟国が参戦するのは一般的には認められた行為です。
ロシア参戦後西部日本や戦争スキーは世界に対して北海道の人々がロシアに侵略されていると発表し
ロシアの侵略戦争が始まったといいました。
各国の報道は西部日本の情報を拡散し、アメリカはロシアの爆撃で青森の日本の妊婦や赤ちゃんが殺されたと報じました。
しかしそのアメリカが報じた妊婦は東部日本の人なので新日本の取材に応じあれは飛行機からの爆撃ではなかったといい、
西部日本軍が病院のご飯を持っていったが新日本やロシア軍はご飯を持ってきてくれた。
北海道で今は暮らしているという情報で締めくくられました。
ロシアは侵略戦争をしているということで国際社会から経済制裁を受けながら、しかし新日本のために軍を引かず戦いました。
ロシアは一時埼玉まで軍を進めましたが、西部日本が新日本の国としての独立を認めても良いと
停戦会議で発言したため撤退を開始しました。
西部日本は100兆円分のアメリカからの軍事支援を取り付け、
西部日本の英雄がロシアを撤退させたった。とし戦闘を継続しました。
そしてロシア撤退後の埼玉でロシアの虐殺があったと報道しました。
しかし死んでいたのはロシアに協力した東部日本の人で西部日本の支配になった時
西部日本から裏切り者だからということで殺された人でした。
ロシアは方針を変え東部日本の人々を北海道やロシアに移住させ避難させるように変更しました。
すると西部日本や戦争スキーはロシアが日本人を何十万人もさらっているといいアメリカなどはそれを報道しました。
ドイツやフランスでは東部日本では新日本やロシアの活動は支持されているという報道や
過去の西部日本が東部日本に行なった武力弾圧の映像が報道され知られるようになりました。
また、弾圧時代にも北海道に住んでいたアメリカの退役軍人も今の北海道や東部日本の報道を始め
東部日本の人々の意見をユーチューブで発信しました。
中でも青森での西部日本が籠城していた地域では明らかに
西部日本が青森の住民の家を破壊していたということを防空壕の中の住民が口々に語りました。
飛んでくる向きは大体わかるようです。
その当時西部日本や戦争スキーはロシアが青森の人々を壊滅させていると発言していました。
報道でも製鉄所付近は廃墟になっているのが見て取れました。
しかし、それは東部日本の人からすると西部日本がやってきた武力弾圧の延長線でしたし、
対象もさほど変わらず、ただ激しくなっているにすぎませんでした。
それは容赦なく西部日本軍が東部日本の住居などを破壊したりしていましたし
西部日本軍は人のいる学校や公園や病院の側から攻撃しました。
ロシアや新日本の発射地点を特定し反撃で東部日本の学校や病院が被害を受けた時
西部日本はロシアが日本の東部を破壊し住民、学校、病院、公園も破壊し尽くしたなどと発表しました。
もちろん西部日本軍が壊した方が多いように思われますし、東部日本の人々は西部日本軍にやられたと思うと言いました。
アメリカが西部日本にハイマースを提供した時からロシアは撤退することが少し増えました。
しかし、再度西部日本の支配地域になった東部日本地域の人での西部日本のインタビューでは
西部日本が日本を取り返したといっているが、そもそも君たちが東部日本に攻撃するのがよくなかったのではないか
という意見が出るので
西部日本の報道では東部日本の人々へのインタビューはほどんど報道されず、
代わりに西部日本が知事として決めたハイダイ知事や西部日本軍の情報や意見が報道されました。
そして日本の北海道と秋田、盛岡までをロシアに編入するかの住民投票がなされ
その結果ロシアに編入されることが決まりました。
アメリカなどはその住民投票は不正選挙で後ろに銃を持った人がいるから脅していると報道しました。
西部日本の弾圧中北海道に住んでいたアメリカの退役軍人のユーチューバーは秋田付近で商店取材をし
仕事で投票はしていないけどロシアになるのは賛成などの報道や投票所の取材をしていました。
そして、西部日本がロシアに編入された地域を攻撃すると
西部日本全域にミサイルが飛ぶようになり継続的に発電所などが機能しなくなるようになりました。
ロシアは西部日本に武器を提供し続けるアメリカにアメリカまで届く多分水爆を超える範囲の核ミサイルを配備しました。
戦争スキーはロシア派首相に亡命を勧めた当時の副大統領だったバイデン大統領の政権がもうすぐ力を失うのを察知し
今のうちにアメリカから武器の提供の約束を取り付けるためにアメリカに行き演説しました。
いまここ
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