国際紛争/なぜロシアとウクライナが戦うのか?(れきしの勉強キッズ向け) のバックアップの現在との差分(No.2)


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ロシアとウクライナはその昔はソビエト連邦という国の集まりでひとかたまりでした。
アメリカは州の集まりで一つの国ですね。

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ソビエト連邦はアメリカと冷戦という名前の戦争をしていました。
これは実際に戦い合うのではなく、どっちが先に宇宙に行けるか、どっちが先に月につくか、
朝鮮(ちょうせん)戦争では北朝鮮をソビエト連邦が応援し、韓国をアメリカが応援しました。
今はある程度のところで戦闘を停止しています(停戦)。

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なぜ直接戦わないかというと核兵器があるからです。
ソビエト連邦はアメリカに核を落とすことができ、アメリカもソビエトに核を落とせるようにしていました。
宇宙ロケットを作れるということは地球のどこにでも核兵器を落とせるという証明なのです。

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ある時、ソビエト連邦はペレストロイカという民主化運動を政府から始め、(日本では自由民権運動といい民主化運動は民衆からおきました)
表現の自由、集会の自由、信教の自由、出国の自由、選択肢のある選挙、複数政党制などが保証されるようになり、
議会で何が行われているかなども国民が分かるようになっていったといわれています。

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この動きに待ったをかけようとしたのがソビエト連邦の副大統領や情報機関の人々で
ソビエト連邦の大統領の(ウクライナで今ロシアがとっているクリミアで)休暇中、情報に規制をかけ
政府ののっとり(クーデター)をしようとしました。

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政府ののっとりはソビエト連邦の国のうち一つのロシアの大統領が政府ののっとりは不正ですと国民に伝え、
のっとりは失敗しました。
ソビエト連邦の大統領はこういうこともあってソビエト連邦を解体すると言いました。

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ソビエト連邦のつながりはとぎれ、ロシア、ウクライナ、ベラルーシなどたくさんの国に分離しました。

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世界はソビエト連邦とアメリカの2強だったのが、アメリカの1強になってしまいました。

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ウクライナはソビエト連邦による保護がなくなり自由に思想や人々の往来が起きるようになりました。

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しかしこれはとても危険なことでした。嘘の情報やプロパガンダや情報工作が大量に欧米からウクライナに流れ込むようになりました。

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ウクライナは親ロシア派の国でした。(親というのは、したしい(なかよし)という意味です)しかし今は、親ロシア派は政治的な弾圧と物理的な虐殺によって東の端に追いやられています。

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まず2004年親ロシア派の人が一気に小さくなったのはウクライナの選挙で親ロシア派の大統領が選ばれたのに
欧米が応援する親欧米派が選挙は不正だというデモ(たくさんの人数で意見を言いながら行進する)を開始し、
選挙はなぜかやり直され、親欧米派の大統領が選ばれ、親ロシア派を弾圧する政策が次々と取られたようです。

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一旦また親ロシア派の大統領が選出された時2004年の変更を無効にしたようですが、
2014年にまた親欧米派はデモを行いました。親ロシア派の大統領はロシアに逃げ、今度はウクライナの政府を乗っ取りました。
しかしこのデモは今度はよく調べられました。まず一つ親欧米派のデモに参加した人はホテルの提供とお給料をもらっていました。
そして大量のデータを解析したオタワ大学の教授によると親欧米派のホテルからデモに参加した人とデモのそばにいる警察を100人ほど撃ち殺しました。
これは世界中に放送されました。自分も当時見ましたが意味はわからなかったです。ただどんどん撃たれて死んでいきました。
親欧米派は親ロシア派の大統領がデモ隊を殺した弾圧者として非難し大統領はロシアに逃げました。
でも実際はデモの参加者の泊まっていたホテルから撃っているので親欧米派がやったことだというのが事実のようです。
そしてアメリカのビクトリアヌーランドという今のアメリカの人がデモ隊と警察にサンドウィッチを配っているのが目撃されています。
そしてアメリカのビクトリアヌーランドという今のアメリカの外交の高官がデモ隊と警察にサンドウィッチを配っているのが目撃されています。
アメリカは2013年にウクライナの民主化のためという名目で50億ドル使ったと言っていて話が合います。


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そしてどんどんと政治が親欧米派に変わっていきロシア語が公用語ではなくなり親ロシア派の人は住みづらくなり3箇所にかたまりました。
それがクリミア、ドネツク、ルガンスク(ルハンシク)です。それぞれが住民投票で国として独立しようとしました。
オデーサにも集まったようですが集まった建物の下から火をつけられ降りようとする人は撃たれうまく行きませんでした。

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親欧米派のウクライナではロシア人を殺せロシア人を処刑しろと子供達に教え始めていました。
ロシアの人々に何も殺されていないし壊されてもいないにも関わらずです。

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クリミア住民投票で独立しロシアになることを希望しロシアが救援に行きロシアが占領しました。
ルハンシクでは独立のために自治体の建物にいる人々にウクライナ軍は戦闘機でロケットを撃ち込み親ロシア派の住民を多数死なせました。
しかしドネツク、ルガンスクに関してはロシアは救いに行きませんでした。
代わりにドネツクの代表者とルガンスクと代表者とOSCE(ヨーロッパ)とロシアとウクライナで
約束を取り交わしこれをミンスク(ベラルーシのミンスクという約束した場所の名前)合意と言います。

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この合意は戦争の停止とドネツク、ルガンスクは自治区とし、親ロシア派を弾圧する法律を適用しないという約束です。
だからドネツクとルガンスクに今親ロシア派がぎゅっと集まっています。

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ウクライナ政府はミンスク合意を最初から守りませんでしたが最初はだいぶ親ロシア派を殺す速度が落ちました。

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それから8年後アメリカの大統領がビクトリア・ヌーランド系のジョーバイデン になりました。
ウクライナのゼレンスキー大統領はミンスク合意を全く無視して親ロシア派を殺し始めOSCEは2週間で3000回の爆発や発砲を確認しました。
いよいよロシアが動き始め、ドネツク、ルガンスクを守るためにまず彼らの地域を国として認め国の要請を受けるという形で
参戦し、戦闘を開始したということです。

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ウクライナがミンスク合意を守らないということはロシアは問題視し国連で訴えていましたが
アメリカが議論を欠席し議論が進みませんでした。
なぜ欠席するかというとウクライナの行動はアメリカが作っているものだからですよね。
もしアメリカに正義があるならロシアとともに協調しウクライナ様虐殺はダメですよと言うでしょう。

参考:
このウィキ
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/オレンジ革命
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ビクトリア・ヌーランド
ttps://ja.wikipedia.org/wiki/ソビエト連邦の崩壊

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