国際紛争/ウクライナの戦争の原因 のバックアップ(No.1)


ウクライナの戦争の原因がはっきりわかったのでお知らせいたします。

 

前提 Edit

ウクライナで親ロシア派の大統領が立った際、

一回目2008年に選挙が不正であるという主張でデモが起き

選挙がやり直され大統領が親欧米派になりました。

選挙が不正と言い張ることでの革命を求める欧米のやり方はベラルーシなどでも起きており、

欧米の常套手段のようです。ただこの時の情報は少なく欧米の関与に関して強い証拠がありません。

 

(2008年の革命によって親欧米派の政権になり法律などがもしかしたら親ロシア派にとってよくないものが多く作られた可能性はあります。次にまた親ロシア派の大統領になった時に過去のウクライナ憲法への変更は撤回されました。)

 

アメリカの50億ドルの投資によってEU加盟を求める運動に協力した人々(アメリカと思われる組織に雇われたりホテルや食物を支給されている。食物は証拠の写真が存在します)にまた親欧米派のデモ隊と警察殺害の工作により親ロシア派の大統領がデモ隊と警察を殺した欧米のメディアに報道され

バイデン にもうお前の支持者なんかいないロシアにならいるだろうといい、親ロシア派の大統領はロシアに逃げました。

結局不正な政権の転覆が起きました。選挙で選ばれたのは親ロシア派の大統領だったのですから。

ここまでが前提です。

 

親ロシア派の大統領が選挙が不正と言い張るのが好きな欧米の声を抑えて選挙によって親ロシア派の大統領が選ばれていたのです。

つまりウクライナの半分以上は親ロシア派の支持だったということです。

 

原因 Edit

アメリカによって作られた不正な政府によってEU加盟は憲法に書かれました。

 

親ロシア派は当然EU加盟に反対です。ロシアの同盟に入りたいのです。

アメリカなどによる不正な政府が出来上がり親ロシア派の人々はアメリカと同じ方法をとって

国家として独立を図りました。

 

つまりデモを作り、国会の代わりの自治体の庁舎を占拠し独立のための選挙を行いました。

 

過去の親ロシア派の大統領はアメリカの扇動したクーデターの際に住民を傷つけないように気をつけ続けていました。

警察がひだるまになっても銃で殺されても重機で轢かれても耐えていました。しかしそこにオタワ大学教授の論文によれば欧米派のスナイパーが警察とデモ隊を撃ちエスカレートさせました。

 

しかしウクライナ政府は親ロシア派がアメリカのやったように自治体の庁舎を占拠したらどうですか?

ウクライナ政府はウクライナ軍の戦闘機を使ってロケットをぶっ放して庁舎ごと住民を死なせたのです。

オデーサではどうでしょう。デモで集まった人がいる庁舎に火をつけ飛び降りる人を銃で撃ちました。

ハルキウではデモによって議員を追放できましたが、独立はしていないようです。

マリウポリでも戦車装甲車を使い人々を威嚇し住民を殺さないようにした警察官を軍は殺しました。

実際に独立できたのはクリミアとドネツクとルガンスクだけです。

 

クリミアはすぐに独立しロシア編入がされましたが、ドネツクとルガンスクは遅れました。

ウクライナ軍はドネツクとルガンスクに軍を差し向け殺していきました。

 

そこでロシアとEUとウクライナでドネツクとルガンスクに自治を認め停戦するように約束しました。

しかしウクライナは結局停戦せず、ゼレンスキー大統領になってからさらに攻勢を強めたので

ロシアがドネツクとルガンスクも国として認め防衛のために参戦したということです。

 

だから、ドンバス(ドネツクとルガンスク)とマリウポリとオデッサとハルキウの人々は

ロシアの行動での占領を解放されたと表現するのです。