国内問題/天国や地獄が気になって宗教やめられない人へ のバックアップ差分(No.1)


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原始仏典 マッジマニカーヤp430-431の個人的な要約によれば
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世界は有限である、世界は無限である、霊魂と体は同一である、霊魂と体は同一ではない、
人格完成者である如来はその死後も存在する、人格完成者である如来はその死後は存在しないということは
私が説いたものであろうか。私は苦を滅する方法を説いたのである。
私が説いたものを私が説いたものとし、私が説かなかったものを私が説かなかったものと受けよ。
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とあります。
ニカーヤは如是我聞 釈迦如来はこう言ったと聞いている。というものを集めたもので原始的な仏典です。
多くは釈迦如来の付き人アナンの聞いたものと言われています。

#region(要約ではない内容)
「世界は常往なものであるという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「世界は常往ならざるものであるという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。
世界は常往なものであるという見解があっても、また世界は常往ならざるものであるという見解があっても、
しかも生あり、老いることあり、死あり、憂い、悲しみ、苦痛、悩み、悶えがある。
われはいま目のあたり、これらの消滅を解くのである。
(同様に「世界は有限であるという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「世界は無限であるという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「霊魂と身体とは同一であるという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「霊魂と身体とは異なったものであるという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「人格完成者はその死後も存在するという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「人格完成者はその死後も存在しないという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「。。。(。。。は何か書かれていないが天国や地獄でもいいと思われます)が存在するという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「。。。が存在しないという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「。。。が存在しかつ存在しないという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。また
「。。。は存在するのでもなく、存在しないのでもないという見解があるとき、清浄行に往するであろう」ということはない。
このような見解があってもしかも生あり、老いることあり、死あり、憂い、悲しみ、苦痛、悩み、悶えがある。
われはいま目のあたり、これらの消滅を解くのである。)
 それ故にここにわたくしが記説しなかったことを記説されなかったこととし受持せよ。
またわたくしの記説したことを記説されたこととして受持せよ。。。
「世間は常往なものである」などということはわたくしの記説しなかったことである。
なぜにこのことをわたくしは記説しなかったのか?
何となればこのことは目的と相応せず、清浄行の基礎とならず、厭離・離欲・止滅・平安・知通・正覚・ニルヴァーナのためにならない故である。
 しからばわたくしは何を記説したのであるか?
「これは苦しみである」「これは苦しみの起こる原因である」「これは苦しみの起こる原因である」「これは苦しみの止滅に導く道である」
ということをわたくしは記説したのである。
何故にわたくしはこのことを記説したのであるかマールンキャの子よ、
これは目的と相応し、清浄行の基礎となり、厭離・離欲・止滅・平安・知通・正覚・安らぎのためになるものである。
それ故にわたくしはこのことを記説したのである。
(MN.I,pp.430-431.cf.DN.9,vol.I,p.187.)
(出典:原始仏典 中村元 P59-60)
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