(だいたい完成)/日本国憲法を作るに至る経緯 のバックアップ(No.6)


大まかに結論を書くと

アメリカ(SWNCC)は憲法改正が必要であるが自発的に行わせるようにということ

GHQの上位機関のFEACは憲法改正は必要であるということ

日本は憲法改正を近衛首相の時に開始

幣原総理は天皇から指名で任命され

日本の議会を通って可決されているということです。

 

また9条ホイットニーケーディスの示唆もあるという情報があるが強制力はなく

幣原総理の考え出したものであり幣原総理自身はマッカーサーが反対するだろうから

マッカーサーには将軍としてではなく政治家として聞いて欲しいと願い出て

マッカーサーは政治家として聞き入れアメリカからの憲法草案に盛り込んだということです。

 

なぜ将軍としてなぜ反対するかといえばアメリカが日本の防衛にあたることになり

アメリカの負担になるからでしょう。またなぜその負担をアメリカが受けようと思うかというと

次にアメリカが恐れる核戦争が控えているということです。

 

日本は核戦争を世界からスポイルする平和のリーダーになる代わりに世界からの保護をえる

方針をとっているのです。

 

つまりですがこの憲法はアメリカの意志でもあり、FEACの意志でもあり

日本の首相の意志でもあり、天皇の意志でもあり、国民から選出された議会の意志でもあり

つまりそれぞれの承認を得ているとみなせるでしょう。

 

大まかに押し付けられたと言えるのは元はなかった国民の自由と平等などであって

9条はむしろ日本が押し付けたもので承認されたものだといえます。

 

下はまだ未完成

 

重要文書

1946年(昭和21年)11月12日に進歩党の近畿大会での幣原氏のあいさつ
『・・次に新日本の第二要素は、国民挙って平和に終始する決意であります。憲法第九条は戦争の放棄を宣言し、わが国が全世界中最も徹底的な平和運動の指導的地位に立つことを示しています。この規定をもって一片の空理空論なりと冷笑する批評家は、やがて近代科学の躍進にともなう破壊的兵器の新発明が人類の生存に如何なる脅威を与えるかを悟らないものであります。国家の自衛権は認められるべきものであるとか、ないとかいう議論は人類がなお今後の大戦争に耐えて、生き残りえられることを前提とするものである。かかる前提こそ、全く空理空想と申さねばなりませぬ。人類が絶滅しては国家自衛権なるものも、果たして何の用をなすものでありましょうか。元より世界の現状においては、我国独り国際関係の広漠たる原野に戦争放棄の大きな旗をかざして行進しつつあるのでありますが、おって従来使用された兵器に比して幾十倍、幾百倍の破壊力ある攻撃の装置が発明される暁には、列国の民心ははじめて事態の重大性に目覚め、戦争の放棄を要求する大勢は、世界を風靡するに至らざるを得ないでありましょう。ことここに至らば、我国は文明養護運動の尖端にたった先見の明を誇り得るでありましょう。』(『幣原喜重郎』715ページ) 

出典:http://kenpou2010.web.fc2.com/16.tyousensennsou.html}

 

まだ書きかけなので注意

 

まず2冊の本からの情報を参照しています

1、マッカーサーの政治改革 ジャスティン ウィリアムズ

  ジャスティンウィリアムズさんはGHQ/SCAPの職員だったそうです。

2、平和憲法の水源 平野 三郎

  平野三郎さんは幣原総理の秘書でしたが当時のであるかは調査中

 

用語

GHQ General Headquarters

SCAP the Supreme Commander for the Allied Powers

GHQ/SCAP(連合国軍最高司令官総司令部)

SWNCC 国務・陸軍・海軍調整委員会 State-War-Navy Coordinating Committee アメリカの機関

FEAC(極東諮問委員会)GHQに指示を与えることができる。上位機関

FEC Far Eastern Committee(極東委員会)GHQの上位機関

モスクワ協定 https://ja.wikipedia.org/wiki/モスクワ三国外相会議 ここで関係するのは極東委員会の設置でしょう。

 

まず1の本から読み取れるもの

 

1946年1月11日

指令SWNCC288がマッカーサー元帥に下る。

SWNCCはつまりアメリカからの指令ということです。

 

内容は日本の統治機構の変革を促し指導するというもので

そのうちの7条に憲法改正もあるようです。

 

1月24日から10日ほど前

ホイットニーとケーディスが一月四日に発せられた公職追放指令のいくつかのカテゴリーについて説明するために
幣原首相を訪ねた。首相官邸へ車で向かう途中、ケーディスは天皇の神格性を否定した元旦の詔書のことを考えつつ、
またロー・スクール時代に好感を持って支持した一九二八年のケロッグ=ブリアン不戦条約からの示唆もあって、
日本の指導者の詔書による戦争放棄を考慮する気はないだろうか、と声高に語った。
ホイットニーは無言だった。首相官邸に辞去する際、ホイットニーは幣原に対し、天皇の神格否定は全世界で好感を
呼んでいる、と気軽に話しかけた。
 ケロッグ=ブリアン不戦条約に結実した討議の参加者だった幣原氏は、ホイットニーの論評に好感を示した。
ここで、ホイットニーは間髪入れず、日本が詔書によって戦争を放棄することは考えられないか、
とたずねた。幣原氏はこの質問に答えなかった。ケーディスが持ち出し、ホイットニーが繰り返した問いが、
経験豊かな外交官であり、日本の首相である人物の心中に思考の連鎖を生じさせ、
あるいは強めることにならなかったかどうか。
そしてそれがマッカーサーの戦争放棄の提案と受けとめた数日後の発言へと導いたのだろうか(16)。
16=Cousins,Norman."Douglas MacArther." Saturday Review,2 May 1964,pp.18-19

マッカーサーの政治改革 ジャスティン ウィリアムズ p36
 

この時はマッカーサー元帥はGHQには憲法改正の権限はなく権限はFEAC(極東諮問委員会)にあるとしており

 

1946年1月17日

のFEACの質問でケーディスという人が答え

GHQは憲法の研究をしておらず、日本国内の人が行っていると回答したといいます。

(実際に日本国内で憲法の検討が起きてはいた)

FEACフランスのフランシス・ラコステという人は憲法改正が必要であると言ったそうです。

 

1946年1月30日

のFEAC代表団との会議でマッカーサー元帥は

モスクワ協定により憲法改正は自分の手から離れたと発言したと書かれています。

モスクワ協定ではGHQの上にFEC(極東委員会)を設置するものでした。